MEMBER

メンバー紹介

田中 基次

MOTOTSUGU TANAKA


プロフィール

埼玉県出身。琉球大学農学部で昆虫を学び、卒業後はシーカヤックガイドに従事。32歳で作業療法士になり、沖縄の病院に務めた後に穏やかな環境を求めて奄美へ。移住一年後に(株)リーフエッヂ設立、障害者就労支援施設あまみんをスタートさせる。農福連携(農業と福祉の連携)と6次産業化、自然環境保全のコラボで、奄美の持続可能なまちづくりに貢献したいと考えている。

海に親しみ、変わりゆく姿を見てきた沖縄時代

海無し県の埼玉出身の私は、琉球大学に入ったのをきっかけに海や山遊びにハマり、その後の多くの時間を沖縄で過ごしてきました。大学では農学部で昆虫を学び、ダイビング部に所属して海に遊びに行く毎日でした。
卒業後シーカヤックガイドになると、都会で疲れたビジネスマンたちが人里離れた無人島で癒されていくのをお手伝いする、という不思議な仕事に面白みを感じました。
ガイド業も楽しかったのですが、ずっと気になっていた作業療法士の資格を取りに20代後半で信州大学に入学。異業種への転身ですが、作業療法士が扱う人々の多様性というのは、琉大で学んだ生物多様性と根底で通じる部分があると感じます。資格取得後は沖縄の病院で働き、精神科のリハビリを専門としていました。
年月を経ていく中で、琉大時代に遊んでいた海が“地域の発展”という名のもとに埋め立てられたり、観光によってサンゴ礁がダメージを受けたりするなど、好きだった海が激変していく様子を悲しく思い始めます。島は華やかになりましたが、私には持続不可能な“発展”に思えてなりませんでした。

奄美の土地に合わせた農福連携の仕組み

そして、40歳からは好きなことをしようと、穏やかな環境と美しい海に惹かれて奄美に移住しました。
移住1年後に起業し、障害を持った方の就労支援事業所「あまみん」を開所。作業療法士として長年“直接的なアプローチだけでなく、作業を介して治療効果を生む”ことに取り組む中で、島の自然豊かな環境を生かしたサポートをしたいと思ったのがきっかけです。
仕事内容は農福連携が中心。農家手伝いでは労働対価を余剰作物でいただき、農家の人手不足をお金を介さず解消しています。そのいただいた作物や自家栽培のハーブをジェラートやハーブティーに加工し販売することで、障害を持った方々の賃金を作るという仕組みはおおむねうまくいき、声をかけてくれる農家さんも増えてきました。
地域で必要とされていること、皆が無理なく働けること、きちんとした利益を出すことなど、福祉のチカラが地域社会に必要とされていくような農福連携を模索しています。

人にも自然にも無理させない、持続可能な取り組みを

あまみんを運営する上で大切にしているのは「人にも自然にも無理させないこと」。
働く人の仕事量も農作業での環境負荷も、持続可能であることが大事だと考えています。
まちづくりの視点でも共通して言えることです。現状で30%超の高齢化率で医療介護福祉が主産業、30年後には人口が半減というデータが出ている奄美大島。大きな開発計画などは、人口減少を織り込んで持続可能かを検証する必要があるでしょう。
沖縄でも奄美でも、地元にずっと暮らしている方はなかなかその地の恵まれた環境に気付きにくいものです。観光客が『星空がきれい!』というと『夜道が危ないから街灯を付けよう』となることすらあります。無いものを作り続けるより、無いものをよりそぎ落として『星空のために減灯しました』と意味づけをする方が、観光としても差別化でき価値を生む時代だと感じています。
良かれと思ったことでも、一度壊してしまったものを元に戻すのは非常に困難。沖縄や他の世界自然遺産の前例から学び、持続可能で豊かな島となる枠組を作ることが大事だと思います。
そのために、自然や環境に対する知識や理解を深めていける場をNEDIの活動を通して作っていきたいです。

多様性を大切に、 共に島で暮らす道を探りたい

「あまみん」の農福連携、NEDIの奄美の未来に向けた活動、どちらも私の考えの根底深くにあるのが、大学時代に昆虫を通して学んだ生物多様性の大切さです。多種多様な生物から成る奄美の自然と同じように、人間もいろんな職業、立場、考えの人たちが奄美で共に暮らしています。
だからこそすべての人が仲良く同じ方向を見ていけるとは思っていません。文字にするとなんとなく違和感はありますがそれは当然のことであり、まさしく多様性です。
お互いを認めるためには、意見の相違について真っ向からぶつかるのではなく、お互いの尺度での満足を引き出す妥協点を見つける努力をします。時には昔の映画・ペイフォワードのトレバーのように、先に相手に対して良いことをしてあげるのも必要でしょう。
作業療法士の仕事では、何か目標を達成するときは直接アプローチするのではなく、間にいろんな作業を挟むことで無理や負担を和らげますが、まちづくりでも何かを訴えたいとき強硬に主張したりするのではなく、地域の人たちにできるだけメリットのある代替案を提案していくなど、話し合いや歩み寄りの道を探り、直接的・間接的に積み重ねながら進めていきたいと考えています。
奄美の素晴らしい環境をこれからも守り残していくために、沖縄での経験を活かし自分には何ができるのか、考え行動していきたいです。