JOURNAL | Vol.04
写真家
CHAR : 土屋 尚幸 氏
太陽光がわずかに届く深い藍色の中で、幾重にも層となって広がる珊瑚礁。あるいは複雑に絡み合いながら緑のグラデーションを織りなし、わずかに漏れる光の中で鮮やかな赤色の花を咲かせる熱帯性植物。外洋から順番に運ばれてきたエネルギーの塊が整えられ、巨大な波となって一気に形を変える瞬間。Charさんことフォトグラファーの土屋尚幸さんが捉えたいと強く願っているのは、単に美しい風景でも波乗りのシーンでもなく、自然の神秘そのものだと言う。
サンフランシスコの大学で写真を学び、サーフィンを覚えて帰国した。広告代理店で制作アシスタントとして就職するも、激務に耐えかねて、すぐにサーフィン雑誌を発行する会社にカメラマンとして転職する。当時はサーフィン雑誌の数も多く、フリーランスになってからは、旅また旅の生活を長く続けた。毎冬にはハワイに通い、恐ろしくも美しい波に挑むサーファーたちを写してきた。サーフィンの世界に身を置いていたCharさんが、社会を見る目を変化させたきっかけの一つが、が2007年には、青森県六ヶ所村にある使用済み核燃料の再処理工場に対するアクション「wavement」だった。
「それまで環境問題について考えていたかと言われたら自分には響いてなかったけれど、仲間から話を聞いて、それはヤバいって、波乗りしながら青森まで向かって。いろんな問題に意識を持つようになったのはそれからかな」
社会問題に対してアクションを起こした経験は、東日本大震災後の選択にも影響を与えていたかもしれない。Charさんは、それまでにも何度か通い、不思議と惹かれていた奄美大島に移住を決めた。 「仕事柄、旅が多くて、世界中のサーフスポットに行ったけど、奄美の海のキレイさは抜群だと思う。沖縄とも違う海だから。それに、奄美はすごいパワースポットだと思うんですよ。ウェットな女性の島で、メロウな雰囲気が自分には合っていると思う。合わない人はすぐに帰ってしまうし、もう10年以上暮らしているから、どうにか合っているのかな。集落ごとに少しずつ個性が違って、それがまた面白いですよね。パプアニューギニアも大好きなんだけど、どこか似ている気がするな。パプアは世界で一番、多言語の国で、部族ごとに格好も違う。奄美も、そんな気がする。俺はカメラマンだから、旅に出て集落の行事を休むことも多いけど、その分ちょうどいい距離感で付き合えているのかもしれない。すごく頑固なおじいさんも、焼酎を持っていったら急に優しくなったりして、当たり前だけどこちらから歩み寄って挨拶すれば、受け入れてもらえるんじゃないかな。集落の行事も島の先輩たちとのコミュニケーションも、楽しむことが何より大事っていう気がする」
パワースポットとは、Charさんが追い求めている「自然の神秘」に溢れた場所という意味かもしれない。塩と焼酎を持ってユタ神様に会いに行くと、「あなたは大丈夫よ、住めるから」とお墨付きをもらった。撮影とは本来、体で感じた“何か”を写し取る行為であり、どこか神秘的なものを宿している。人間の目では知覚できていなかったものが写るからだ。何かを感じ取るためには常に“世界”に身を浸していなければ感覚が鈍ってしまう。Charさんは、島の自然のリズムに合わせて暮らすことが、撮影においても重要と考えている。
「数年前からいつかの夢だったヨットを手に入れたんですね。まだまだ未熟で島も全然回れていないんですが、例えばヨットで泊まると、まるで宇宙船に乗っているみたいに感じられるんです。島が地球で、海が宇宙で、その周りを漂っているような感覚。凪いでいる夜には星が海に映って、自分を取り巻くすべてが星空のようになる」
ヨットに乗るようになって、「少しずつ風が見えるようになった」とCharさんは言う。奄美大島には山があり、谷筋に行くと風が集まって一気に吹き下ろしていたり、反対に完全に風を遮って凪となったりもする。島と海は繋がっていて、その循環に身を委ねることが、つまりは感覚を磨くこと。星の撮影のためにヨットで走りながら「いいところ」を探す。言葉にすれば珊瑚がキレイで、深すぎず浅すぎず、アンカーを打っても珊瑚を壊さないような地点だが、それだけではない。むしろ、肌に感じる生命力のようなものを信頼している。
「一度、白化でなくなっていた珊瑚が、また復活して、すごくキレイになっているところは、すぐにわかる。珊瑚が生まれて、破壊されて、何年後かにまた生まれて。珊瑚がブワーっと広がっている。自分が撮りたいのは、キレイなものというよりも、うまく言えないけれど、何か神秘を感じる写真なんです。単なるポストカードではなく、そこにソウルというか、魂というか、何か心震えるものが入っている写真。そういうものが撮れたらいいなと思ってます。環境問題を訴えるにしても、ネガティブなものよりも、ポジティブなものを撮って訴えたい。珊瑚が破壊されているところよりも、それがまた美しく復活したところ。破壊だけを見ていたら、今年は白化現象がヤバいとなるけれど、また別のところでは再生されていたりする。その繰り返しの中に、自分たちもいるんだなって思うから」
伊勢から1週間かけてヨットを運んだ際に、屋久島から奄美大島の間、黒潮が東シナ海から太平洋に抜ける流れの強さに恐怖を感じたという。トカラ列島付近で3日間波が収まるのを待って、もっとも波の小さな日に通り抜けたのに、それでも恐ろしかった。けれど、波乗りだけではなく、外洋を疾走するヨットに乗り始めて、海への恐怖心は減っているという。
「自分の目標は奄美から沖縄の下まで行って、小笠原まで行くこと。もう少し技術が上がったら、それだけはいずれやるつもりです。それから請島と与路島の沖まで、波があるかどうか調べに行こうと思っています。喜界島にも沖で割れるポイントがあるらしい。それは多分、まだ誰もサーフィンをしていない未知のスポットだと思う」
島に暮らしていれば、冒険は身近にいくらでもあり、必要なのは探究心と良き仲間。Charさんは、人との繋がりがとても大事だと繰り返す。
かつて駆け出しのフォトグラファーだった頃、世界的なシェイパーであるY.Uこと植田義則の工場を訪ねた際に、偶然にも多くのサーファーにとって憧れの存在である神様、ジェリー・ロペスがサーフボードを削っていた。その時に撮らせてもらい、ずっと渡せずにいたプリントを、昨年ジェリーさんが島にやって来た際に20年越しでプレゼントすることができたという。そして、奄美の海で波に乗るジェリーさんを再び撮影した。その写真を渡すためにも、撮り続けなければいけない。「ジェリーさんが頑張れって言ってくれているような気がする」と笑う。
「大事なことだとわかっていても面倒で引き受けないことって多いけど、このNEDIの活動は、経験を子どもたちに引き継いで、育てようっていう意志がすごく伝わってくる。いいなと思うし、尊敬できます。俺は自然が好きだから、残したいなと思うんです。だから、できるだけポジティブなものを写して、協力したい。俺の写真に自然の神秘が写っていたら、きっと大事にしようって思うはずだから」
(撮影:CHARFILM)
(取材・文:村岡俊也)