JOURNAL | vol.04
画家
ミロコマチコ 氏
画家・ミロコマチコのライブ・ペインティングを見たことがある。奏でられる旋律の浮沈に合わせるように、大きな白い紙に少しずつ色が表れていく。その様子はまるで、陽が暮れて終わりゆく一日の尊い流れが、ほんの一瞬、私たちの上空で小さな渦を巻いてから去っていくようだった。残されたのは、名前のない生き物の絵。「今、起こったことが、生きていったらいいなと思って」生き物という形にしていると言う。絵は、どんな日常から生み出されるのだろう? 奄美大島の集落で暮らすミロコさんは、あらゆるエネルギーを生き物として捉えている。
「聖霊みたいなもの、エネルギーみたいなものは何かの形をした生き物な気がして、それを残したいという思いは強いです。島で絵を描いている時も同じで、波がシューっと流れていったなとか、風の動きみたいなものが見えたら、それを描く。島の人は『あっちに魚の群れが来るぞ』とか『嵐が近づいているぞ』とか、感覚で捉えて、漁に出たり、畑をしたり、暮らしで表現しているんだと思う。その感覚は生きていく上でとても大切で、私の場合は絵を描くことで、その力を身につけている感じ。その感覚を生き物として捉えるとすごくしっくりくる。みんな、生きている感じがするから。でも、そう思うようになったのは、奄美に来てからかな」
生まれは大阪。27歳で東京に出てから、およそ11年暮らした。自分の感覚と近しい人たちと暮らしている中では「とっても幸せだった」が、少しずつ都会のスピードや「いろんな感覚を無視せざるを得ない感じ」に違和感を覚えるようになった。自分のリズムを大切にするため、かねてから憧れていた環境に身を置くため、何度も通っていた奄美大島に5年前に移住した。当初は「自分の持っているものを発見していく」感覚だったという。
「幼い頃に置き去りにしてきたものとか、元々、持っていたはずなのに忘れていた感じとか、もしかしたらもっと生まれる前からのものかもしれないけど、そういうものを発見している気はします。最初は港で釣りする時に、その辺にいたおっちゃんに『釣りって、どこでしていいんですか?』って訊いたことがあるくらい、がんじがらめになっていました。『え? どこでも』って、おっちゃん困ってた(笑)。よく釣れる場所はあるんだろうけど、それを探し出すのも釣りの一部で、簡単な攻略法がないから面白いんですよね。自然があればなんぼでも遊びはできるから」
夏には早く起きて庭仕事をし、午前中には仕事を始める。ただし、晴れていたら「もったいないような気がして」すぐに外に出て、二頭の山羊と遊ぶ。夕方には目の前に広がる海に頭まで浸かって、風呂に入ってから食事をする。初めのうちはわざわざ水着に着替えていたけれど、今では「洗濯物が増えるだけだから」と、島の人がそうしているようにそのままの格好で海に入ってしまう。海が特別なものでなくなり、島が棲み家になっている。絵は、そんな日々の記録のようなものでもあるという。
「以前は描くものを探しにいくっていう感じだったんですね。旅に出た時のストックを引っ張り出したりして。でも今はパッと海に出たり、ただ山を見たりするだけでいい。自然って止まっていることがないから、風がそよいでいたり、光の差し方が違ったり。だから本当に“今”を描けるっていう感じなんです。表現したいことが上手く描けないことはあっても、何を描けばいいんだろうって迷うことはない。雨が降っていたら雨みたいな絵になるし、今日は風が強いから、ビュンビュンした絵になったりする。この世界にいる限り、それが枯れることはないと思う」
絵を描くために感覚を開いているわけではなく、常にその状態で暮らしているからこそ、描ける。生活と絵を描くことに境目もない。島の言葉には、自然との付き合い方の知恵が表されていて、ミロコさんの絵と同じように、スッと感覚が共有できるツールになっているという。
「奄美の人は用途が一緒なら、違う植物でも同じ名前で呼んだりするんですね。この葉っぱで餅を巻くから、とにかくそういう植物は全部『カシャ』。内地の人が、『いや、これはクマタケランですよ』って言っても、島のおばあちゃんたちはキョトンとしてる。それ、すごくいいなと思うんです。他にも、いろんな不思議な体験を妖怪の『ケンムン』って呼んでいるんじゃないかな。私もよく言われるんです、『あそこケンムンがおるから近づいたらあかんよ』って。空気の流れとかハブが大好きそうな場所とか、そういう行ってはいけない場所の話に、ケンムンが出る。子ども騙しではなく、ケンムンはいるものだから、共存していくためには、無闇にあそこに入っちゃいけないよって」
「ケンムンがおる」と言われたら、畏れ敬う気持ちが湧き、その場所とも適度な距離が保てるのかもしれない。自然との共存や環境保護と言った声高なものよりも、もっと実感のある言葉。そこに島の知恵を感じる。けれど、開発に伴って島の人々と自然との距離感も変わりつつあり、ミロコさんの自宅前にあった防風林も切られて、道路が広く明るくなった。便利さと引き換えに変わりゆく環境に対して不安を覚えつつ、自分にできることを探していると言う。
「今までは住む街に愛着を持ったことなんて一度もなかったのに、今はこの集落が大好き(笑)。工事が続いていたり、いろんな状況があるけど、『自分の暮らす集落』っていう感覚がめっちゃ芽生えているんですね。この場所のために何かしたいって本気で思える。住民300人くらいで、自分が関わっていけば、意見は必ず届くし、町づくりに参加できている感覚があるからかも。だから、どんどん人と交流したくなるんです。都会にいた時には、一人で生きていきたいって思ってたのに、自分でも信じられない。集落の行事にも、出張を調整しながら一生懸命、参加してますね。運動は相変わらず苦手だけど、それでも舟漕ぎは楽しいし、情報交換して連携が取れていることがこんなに安心なんだって知らなかったから。やっとコミュニティや集落の意味が、それこそ染み込んできた感じなんです」
もしも大きな地震があっても「島にいたら、なんとか生き延びられる気がする」とミロコさんは言う。誰が発電機を持っていて、どこに逃げれば安全なのか、共通理解があるから。共同体の一員であることの安心感は、自然が太刀打ちできない存在であると共有されているから生まれるものかもしれない。面倒に感じられる人間関係も、本当はとても面白く、豊かなものという。舟漕ぎや踊りの練習の後には、酌み交わしながら昔話を聞く。そうやって毎日、陽が暮れていく。
「本当におじいちゃん同士が喧嘩していたりするんですね。『もう、お前とは口聞かん』とか言っていたのに、でも次の日もまた一緒に呑むんです(笑)。それって、家族みたいだなと思ったんですよね。家族って喧嘩しても次の日の朝ごはんは、『おお』とか言いながらみんなで一緒に食べるから。普段から顔も合わせてないのに言いたいことだけ言っても聞いてもらえないのは当たり前で、きちんと触れ合っていれば、話も聞いてもらえるし、物事に対してどう考えているかわかる。
人間は一人で生きてはいけないから、絶対に。都会は、あくまで生きていける風なんですよね。でも、一緒に舟漕ぎをしてたら、根本的なことが分かり合えるから、いざという時にも助け合える気がする。例えば、『環境を守るためにはこうしましょう』っていうよりも、『お酒が美味しいね』を共有していると、感覚が通じ合える。少ない言葉でも伝わることがあるなって。どこかを押さえておけばいい、みたいな話ではなくて、日々の暮らし全体のつながりや流れがすごく大事なんですよね。それがやっと島で暮らしてわかったかもしれない」
都会で生まれたミロコさんが自然豊かな生活を求めた理由のひとつは、子供の頃に絵本『やぎのしずか』を繰り返し読んでいた記憶だった。今では本当に二頭の山羊と暮らしているが、だからミロコさんは絵本を描いて「少しでも気持ちがいい感覚を刷り込めたらと思ってます」と笑う。
二頭の山羊の散歩がてら、山の奥にあるミロコさんのアトリエに行った。山羊たちは、好きな植物の前に来ると強くリードを引く。ミロコさんは歩調を合わせながら、周囲に住む人たちのこと、どの畑のタンカンが美味しいかについて話した。谷筋の水はしばらく雨が降らないと枯れてしまうが、アトリエのある行き止まりには、大きなヒカゲヘゴがあり、そこが特別な空気を纏っていることを教えてくれた。来た道を振り返ると、赤尾木湾の東シナ海、その上に陸地を挟んで太平洋が見える。海が二つ重なる景色の不思議さに、奄美大島の豊かさを見る。
「目の前の光や風の動きに反応しながら、同時に昨日見たウミガメの顔が出て来たりして、『あ、全部、ちゃんと眠ってたんだ。私の心はそこに捕らわれていたんだ』って描いてみて気づくことも多いんです。全部つながっている感覚。山と海は切り離せないし、私は多分、野生の力みたいなものに憧れているんですね。でも海も山も、自然は怖いんですよ。サメが出たぞと言われたら、よくみんな海に入るなって思う。鯨と泳ぎたいなんて思わない。でも怖さはとっても大事で、それこそ危険を察知する力だから。その代わり、自分が気持ちいい場所まで行くのは本当に大好き。1日の終わりに海に浸かるのは最高だし、舟漕ぎも本気でやるほど好きになる。この環境に、本当に幸せに感じています」
(撮影:CHARFILM)
(取材・文:村岡俊也)