奄美でいきる、暮らす

JOURNAL | vol.03

一般社団法人稲作保存会

小池 弘章 氏、泉 太郎 氏


未来へつなぐ、島が育むお米の味

「今、僕らが田んぼをやらなきゃ、奄美の稲作が本当に途絶えてしまう」

島内の自給率と次世代の食事情を案じて立ち上がったのは、「一般社団法人 奄美稲作保存会」だ。未経験ながら試行錯誤し、耕作放棄地を自然栽培で復活させた。活動4年目にして団体化し、立ち上げた3名が理事に就任。援農として田んぼに集まるメンバーは40余名にまで成長した。

理事の3人ともそれぞれの本業を営むかたわらで、稲作にも本気の体当たりで取り組んでいる。情熱の源はどこにあるのか。田植え作業中の田んぼを訪ねて、理事の小池 弘章さんと泉 太郎さんにお話を聞いた。

泉 太郎さん(写真左)と小池 弘章さん(写真右)

豊穣の祈りを捧げるナザト山に見守られ

5月末、奄美では田植えもすでに終盤期。この日は「補植」と呼ばれる、田植え直後に苗が欠株した場所に植え直しをする作業中だった。

小池さん    この田んぼは当初、本当に深くて田植えもままならないほど大変でした。そこで去年、環境再生の講師の方に来ていただいて、水と空気の循環を良くするために田んぼの周りにみんなで溝を掘ったんです。大変ではありましたが、おかげで水はけが良くなって、今年はこうして普通に田植えができるようになりました。

田んぼのある龍郷町では、例年、国の重要無形民俗文化財にも指定されている伝統行事「秋名アラセツ(新節)行事」が開催されている。お祭りは旧暦8月最初の丙の日、山の中腹に建てた「ショチョガマ」と呼ばれる藁葺き小屋に地域の男性たちが登り、威勢のいい掛け声と共に揺さぶり倒す。太陽が東の山上に昇る直前に、ショチョガマを揺り倒し、その年の豊作を祝ってきた。

ナザト山に見守られながら横並びで田植えをする彼らの姿は、この島に生きていた先人たちのそれと同じであろうことを彷彿とさせる。

小池さん    ショチョガマは全て手作業で建てられるんです。龍郷の男衆が材木や藁を自分にくくりつけて急斜面を登り、100名以上総出で1日掛けて作る。その材料になる稲藁を提供していた地域の農業団体が高齢を理由に解散してしまい、僕らにお声がけいただきました。それで去年からショチョガマに稲藁を提供させてもらって、僕らも一緒にショチョガマを倒したんですよ。

理事はみんな自営業者。I&Uターンの頼もしさ

奄美稲作保存会 代表理事の小池 弘章さんは、地域食材を活かしたピザやパスタに定評のあるイタリアンレストラン「オステリア フィオーレ」のオーナーシェフでもある。田んぼ作業はお店の定休日だけに限られているものの、お米づくりを始めたことは、本業にも嬉しい一面をもたらしていた。

小池さん    うちのピザ生地には3割、お米が入ってるんです。

看板メニューともいえるピザの生地に炊いた自家製米を練り込むことで、クリスピーな表面とは対照的な、もっちりした食感を出す。奄美の恵みが集結したピザは、小池さんのお店でしか食べられない。

小池さんご夫婦は関東から移住

全員が米作り未経験だったという稲作保存会。その始まりは、小池さんの妻・祥子さんからだった。

泉さん                   ある日、小池さんのお店でピザを食べていたら、祥子さんから「米作り、興味ある?」って誘われたんです。ある、と答えてから数ヶ月後には、みんなで田んぼに行き始めてましたね。

泉さんは、地元食材やグラスフェッドバターなど、こだわりの食材で丁寧につくるベーカリー「雨ノヒパン」の店主。小池さん同様に、自営業の定休日を活かして米作りをしている。

  泉さん                 僕は島の出身なので、少し前は田んぼがたくさんあったことを知っています。名瀬の町もまだ舗装されてない道が多かったし、空港に行く時もクネクネと集落の中を通っていた、そんな時代です。ほんの40年くらい前ですが、一気に変わってしまったなぁと思っていました。

泉さん                   島のおじいおばあたちは「死んだら山に還る」って言うんです。昔の人たちもみんな自然へ還っていて、そうやって巡っているものなんですよね。小さい頃はよく、おばあたちに「自然を敬いなさいよ」と言われていました。

今も集落にはいろんなお祭りがありますが、お祭りは元々、豊穣をお祝いするものです。お米が採れたから「ワッショイ、ワッショイ」と言えたわけで、お米が採れるってとても大事な文化だった。それはこの島で何世代も続いてきたことで、だからこそおじいおばあの感性は、山や森を「美しい」と敬うものになったんだと思うんです。ずっと続いてきた循環を途絶えさせちゃいけない、と思いました。

稲作保存会3人目の理事である渋谷 丹さんも、東北から移住したパッションフルーツ農家だ。泉さんは、小池さんや渋谷さんのようなIターンの移住者が奄美の自然を守ろうと活動している現実に「奄美出身者としても何かしたい」と思っていたと言う。かつての風景を知る者として、休耕田の復活は現実味も強い。

泉さん                   僕もパンにお米を入れたりしますが、そうした直接的なことよりも、島内でおいしいお米が作れることを伝えて、共感してもらえることの意味がとても大きいです。田んぼの活動に参加してくれる地元出身者も増えたら嬉しいですね。

調査データに裏付けされた生物多様性

2022年、生物多様性に関する国際会議・COP15にて、2030年までに地球上の陸地と海域30%を保全区域に指定する「30by30」が採択。これを受けて環境省は、民間の取り組みによって生物多様性が保護された地域を「自然共生サイト」として認定する取り組みを開始した。

奄美の里山と里海が水や風を循環させ、豊かな自然生態系が存在し、在来種など複数の栽培品種を栽培。さらにショチョガマへの稲藁提供など、地域文化に貢献する奄美稲作保存会の田んぼは、「自然共生サイト」初年度に、高い評価をもって認定された。

小池さん 年々周りの皆さんにも僕らの活動を知っていただけるようになって、お借りしてる田んぼも増えてきました。今は約1町歩(約1ヘクタール)借りていて、そのうちお米の作付けが5反(約0.5ヘクタール)、マコモが2反、残りの3反は水はけの問題があってまだ作付けできてない場所です。去年教えてもらった溝を掘る整備をやろうと考えてるところです。

深田のため作業効率に悩んでいるであろう地域の他の田んぼも、稲作保存会の実践から整備方法が認知されれば、奄美のお米の収量も増える。台風時期などに船が欠航すると島外からの食品が途絶えてしまう奄美において、食品の自給率は生活者の日常に直結する。

大事にしたい「楽しい」と「おいしい」

稲作保存会の活動に参加するメンバーは、現在約40名ほど。本業だけでも忙しいのに、複数箇所の田んぼの管理と、メンバー向けやSNSでの情報発信と、小池さんたちの仕事は無限に続く。田んぼの原風景を取り戻す重要性の他に、どんなやり甲斐を感じて運営しているのか、気になった。

小池さん 参加者についてはSNSで活動日を発信する他、LINEグループに登録してもらって、活動日に参加者を募集しています。援農に来てくれた人にはお米の収穫後、作業1時間で500gのお米をお返ししてるんです。ただ、あまり難しくとらえずに、楽しそうだから行ってみたい!くらいの感じで、小さいお子さんたちや未経験者にもどんどん田んぼに来てもらえたら嬉しいですね。

泉さん                   僕ら自身のやり甲斐としては、やはり子どもたちにずっと安心しておいしいご飯を食べさせてあげたい、という気持ちが強いです。島の人たちはよく「島のお米はおいしくない」と言うんですが、それは、収穫したお米の乾燥や保存などの技術が、気温や湿度といった現状と合っていなかったことが大きいんです。事実、僕らのお米はすごくおいしいんですよ。

小池さん そう、特に新米のおいしさには最初びっくりしました。いろんな品種を作っていますが、特に「農林22号」と「ハツシモ」はおいしいです。農林22号はさっぱりしていて、冷めてもおいしいですし、ハツシモは粒も大きくてぷりぷりした食感がとってもおいしいんですよ。

小池さんが、奄美の稲作について調べているときに出会った1冊の写真集を見せてくれた。浜田太さんという奄美出身の写真家さんが、秋名集落の人々を丁寧に収めている『村  – 奄美ネリヤカナヤの人々』だ。当時の息遣いや笑い声まで伝わってくるような素晴らしい写真ばかりだった。

小池さん    この一冊から、1990年代まではこの辺り一面がすごく豊かな田んぼだったことがわかりました。耕作放棄地なんて全然なかったんです。この風景を取り戻して、子どもたちに繋げていきたいです。

(撮影:CHARFILM)

(取材:やなぎさわまどか)