奄美でいきる、暮らす

JOURNAL | vol.02

(株)リーフエッヂ 代表取締役

田中 基次 氏


ネガティブな経験を奄美でポジティブ変換

私は1975(昭和50)年、埼玉県で生まれた。父親は普通のサラリーマンだったが休みの日には近所の川に魚釣りに連れて行ってくれて、時々は電車で少し遠征して秩父の渓谷に遊びに行ったりもした。学校の昼休みに川に遊びに行って戻らないような、今でいえば“多動”な田中少年。年に一度くらい連れて行ってもらえる東京近辺の海は『混んでいるし身体がベタベタするし』と正直あまり好きではなかった。当時の海水浴場は非常に汚く人も混んでいて、海でガラス片を踏み何針も縫う経験をしたのも海嫌いになった一因だったかもしれない。

そんな、海に対する印象がガラッと変わったのは高校卒業前の大学受験に、琉球大学を選んだ時だった。
どこも受からないからと旅行気分で選んだ沖縄で、海を見た時『ここに住みたい』と本気で思った。
結局その時は不合格だったが一浪して再挑戦、琉球大学農学部に入学することができた。
大学時代はダイビング部に2年間所属。当時の沖縄はまだサンゴの白化現象が激しくなる前で、“満潮時のみエントリー可、干潮時はサンゴを破壊してしまうので入らないように”という場所ばかりだった。イノーにはシラヒゲウニがいくらでもいて、魚影も濃かった。海だけでなく、山に入れば大きな滝つぼのプールでも遊べた。

タナガーグムイ

夏休みには離島でのダイビングショップでのバイトも経験したのだが、そこで嫌な光景を見る羽目になる。バイトの仕事はインストラクターの補佐であり、いわゆるケツ持ち。お客さんの後ろで安全確認を行うのだが、泳いでいるお客さんはきれいなサンゴを見、私はその客が慣れないフィンで破壊したサンゴを見続けることに。海から上がるとお客さんは『すごくきれいだった!』と上機嫌、インストラクターもそれを盛り上げる。その後サンゴ破壊の事実をインストラクターに伝えても『商売だからしょうがないよ』という返事だった。
もやもやが残ってしまった私はスキューバダイビングから離れ、素潜りを楽しむようになった。

夏の真栄田岬の混雑

在学中から卒業後のシーカヤックガイド時代にはサンゴの白化現象、オニヒトデの大量発生などの海の大きな変化が起こり、さらにはリゾートホテルやゴルフ場などの開発と入域規制、商業地域や基地の埋立てや護岸といった人為的な変化も激しさを増していった。

ダイビングにもサーフィンにも適した居心地の良かったポイントは駐車場が有料化され、未熟な業者が事故を起こしたせいで少し海があれるとすぐにクローズにされるようになった。

28歳で作業療法士になるために長野県の大学に入学、32歳で卒業して沖縄に戻ったのちに、本格的にサーフィンをするようになった。サーフィン自体は楽しくてどんどんハマっていったのだが、海の状況の悪化は止まらず、自分には何もできないもどかしさは募っていった。
そして40歳になったのを機に、いちど沖縄を離れる決心をした。
その移住先が、奄美大島だった。

奄美大島を移住先として選んだのは、
・サーフィンできる海があること
・そこそこ仕事があること
・のんびりした生活環境があること
を満たしたからだった。
移住後一年半、この条件は満たされ大満足な生活。
(その後あまみんを起業してからは休みが無く、このときの生活に戻すべく思案中・・・)

奄美大島での海遊び

一方で、世界自然遺産に登録された奄美大島が乱開発の道を歩んでしまうかもしれない危機が訪れていたが、気づいている人はほとんどいない様子だった。

例えば、建物を建てる際に自治体の条例を調べていて、調べるべき条例が存在しないことに気付いた。景観条例が無いので、海辺にピンクの10階建てを建てようと今のところ自由なのである。また海でいえば、シュノーケリングやSUPなどのマリンレジャーの安全基準を設ける機関も無い様子だった。 『わざわざバカなことをするやつはいない』という性善説の逆手をとる業者も残念ながら存在するし、事故や問題事例が発生する前に、沖縄や世界自然遺産の先進地を参考にしてルール作りを早急に行う必要があると感じた。

ありがたいことに今では、住んでいる自治体の今後を考える会に誘っていただいたり、経営している福祉事業所の農福連携(農業と福祉の連携)の取組みを通じて役場職員と意見交換できる機会が増えてきている。私が沖縄で見てきた良い点・悪い点の具体例について情報提供する機会があることで、一緒に島の未来をより良い方向に進めることが出来るなら、ここに書き連ねたけっこうネガティブな情報も良い経験として活かされるだろう。焦らずひねくれず、怒らず、より良い奄美を夢見て自分にできることをしながら、今は仕事に追われて遠ざかってしまっているサーフィンも復帰して、この島に住み続けたいと思っている。