奄美でいきる、暮らす

JOURNAL | Vol.06

プロサーファー、農家

田中 宗豊 氏


海と風と共に生きる人々

 〈NEDI〉代表の碇山勇生にとって、徳島で米作りをしているビッグウェーバーの田中宗豊は盟友という。共に〈パタゴニア〉のアンバサダーであるだけでなく、自然に対する考え方に共通点が多いからかもしれない。陸と海は繋がり、その大いなる循環の中に身を置いているに過ぎない。だからこそ波乗りという遊びに夢中になり、次世代のためにそのままの環境を残したいと願う。海に潜って魚を獲ることも、田んぼに稲を植えて実りを寿ぐことも、どちらも繋がっていると、二人は体で知っている。田中宗豊の目に、奄美大島の海は、どんな風に映っているのだろう?

「サーフィンの観点で見たら、チャンネルの切れ目とかリーフがキレイに整っているところなら、どこでもできる。南西諸島はどこもそうだけど、自分が気に入ったらサーフポイントになるという世界ですよね。サーフィンしたいから『どこどこのポイントに行こう』ではなくて、『あそこで波が割れてるから、じゃあ、やってみようか』という順番。まず海がある、それが当たり前の島。

奄美は、暮らしと海の距離が密接で、暮らしの中に海がある。だから海の話をしようとしても、結局、暮らしの方に入ってしまうんです。綺麗な海で、潜ったら珊瑚が広がっていて、周囲を流れる潮は豪快、ビッグウェーブが立つ、という話はもちろんできる。でも、それよりも暮らしと海に密接な関係がある土地柄で、それによって育まれる人柄が素晴らしいと思う。島の人って強くて優しい人が多いやないですか? それはやっぱり風土によって育まれるもので、先祖代々の遺伝子レベルの話だと思う。強く優しく逞しくなければ生きてこれなかったはずだから」

 宗豊さんは、自身が米農家でもあるからか、水の流れに着目して土地を見ることが多いという。山に降った雨がどんな道筋を通って海に流れ、その汽水域でどんな生物多様性が育まれているのか。その風土との関わり方によって、文化が醸成されるからだ。奄美大島でも同じ。特に物流が限られた島では、食糧を確保することの重要性は高く、海で捕ることのできるもの、土地に育つものへの祈りが、文化の根幹を成す。

「僕が感動したのは、朝から櫓を組んで、それをぶっ壊して、昼からは海に出て祈りを捧げる、という秋名集落のお祭り。それぞれショチョガマとヒラセマンカイと言うのかな。一日のうちに山でも海でも祈りを捧げる祭りがあると聞いて、それはすごいことだなと。山から流れていったものが海で多様性を育んで、豊かな循環が生まれる。そこに人の行いも影響してしまう。それを祭りという形で、伝統文化として根強く伝えている。理屈じゃないんですよ。わざわざ『多様性が〜』なんて説明しなくて良い。なぜなら、祭りをやったらわかるから。準備も片付けも大変で、そこに理由がある。お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんに連れられて、子どものうちから原体験として祭りに参加して、すると大人が勢いよくウワーッとやっている。その土地の食材で料理をして、サトウキビの焼酎を飲んで、音楽を奏でて、踊って、感謝を捧げる。同時に、祈りというものがある。完全にネイティブな、土地に根付いたカルチャーですよね。きちんと営みとして残っている島。僕は伝統とか祭りとか、そんなん好きやから。そのプリミティブな力強さに、この島のファンになっているんです」

 台風が近づけば木々を薙ぎ倒すほどの風が吹き、大雨は土砂を濁流として海に流す。エネルギー溢れる強烈な自然と共に暮らす方法を、祭りという形に託していて、「だから、根強く続いているんちゃうかな」と、宗豊さんは言う。自然と共に生きるために最適化された知恵だから、近代化によって途切れそうになっても、その価値を認めて再び繋ごうとする人たちが現れる。実際に首里王朝の統治下だった13〜17世紀に始まったと考えられるショチョガマやヒラセマンカイもいつの頃からか途絶えてしまっていたが、1960年代に再興復元されたという。米農家である宗豊さんが「水」に惹かれて訪ねた奄美稲作保存会の活動も同じように、失われつつある文化を見つめ直し、繋げていこうとする試み。

「稲作保存会の方々がすごいのは、奄美の原種を復活させたこと。島には無くなってしまっていた種を、たまたま静岡の人が持っていて、ご縁が繋がって会いに行って、復活させたそう。研究所レベルのすごいことをされているけれど、子どもたちと一緒に体験で楽しく伝えていますよね。それが何より素晴らしい。しかも放棄地を復活させている。あれは、お年寄りは嬉しいんちゃうかな。戦中戦後に子ども時代を送ったおじいさんたちは、子どもたちには『しんどいことをさせたくないから』って稲作とは違うものを薦めてきたんだと思うんですね。でも、その気持ちとは裏腹に『おっちゃんらがやってきたこと、カッコええから教えて』って言われたらそれは嬉しいでしょう。意外と僕らのような中年世代が何も知らなかったり、近代化に寄りすぎていたりするんですね。高度経済成長期の息子世代だから。でも、土地との繋がり、暮らしの根がなくなってしまったら、それはもっと怖いことだから」

 近代化が進むと、土地と離れて暮らすことができるような錯覚に陥ってしまう。しかし当然ながら、自然に抗うことなどできないし、一度壊してしまったものは簡単には元に戻らない。いかにして未来に残していくことができるのか、現代はそのバランスを探っている時代なのかもしれない。

「僕は、近代化は否定しないし、めちゃくちゃ素晴らしいことだと思ってる。でも、間違った方向に行くと怖いよね。近代の文明の力を活用しながら、伝統や人の繋がりと融合できたら、素晴らしい。昔みたいにしんどい思いをしなくて済むけれど、軸は変わっていない暮らし。そのために大切なことは、子どもたちに体験してもらうこと。三つ子の魂百までっていう言葉がある通り、子どもの時に体験したことは一生忘れんのですよ。僕も父親にカブトムシ捕りに連れていってもらったり、一緒に釣りをしたことを覚えてる。それはやっぱりいい思い出として残っているから、自分の子どもたちにもやってあげたいんですね。だから〈NEDI〉でやっている3世代のイベント『ナンため ワンため マガンため』は、素晴らしいなと思うんです。島の若い人はお年寄りを大切にするし、お年寄りは子どもらを大切にする。それは外から来てもわかるから。古き良き、本来あるべき姿がここにあると思う。きっと先輩らがやってきたことを、勇生も危機感を持ったり、そういう年齢になったりして、伝えたいって思っているんじゃないかな。素晴らしいものをみんなで共有していこうって」

 

島の先達が培ってきたことから学び、自分たちが親の世代になったタイミングで、次の世代へと伝えていく役割を担う。そうやって何世代にも渡って繰り返され、繋いできたものがやがて文化と呼ばれるようになる。それぞれの集落で行われている祭りや舟漕ぎと同じ。自然との距離感が揺らいでいるからこそ、〈NEDI〉が目的とする、海との接し方をみんなで分かち合う活動が必要とされる。

「それにね、海に出て魚を獲ってきたり、船を操ったりする人はシンプルにカッコいいんですよ。それも理屈じゃない。人はカッコいいものに憧れるから。ああいう人になりたいって、それが伝わっていくものだと思う。子どもたちが勇生に憧れるように、勇生も誰か目標となるような先輩がいるはず。海なんて、一筋縄ではいかんじゃないですか。常に動いているものの中に身を置くわけですから。先手先手で動かんと、流されたり、飲み込まれたりする。経験がなければ先手で動けるわけがない。どんな達人も初めはみんなビギナー。なんでもそうやと思います。そう思っていると、僕は何だか勇気が出るんですよ」

 経験を分かち合う仲間は、島の中にだけいるわけではなく、勇生と宗豊さんの関係のように、海を通じて世界中の人々と繋がっている。かつて宗豊さんがビッグウェーブのために長く通い、参考にしているというハワイの海岸線が、いかにして開発とのバランスを保っているか。あるいはオーストラリアのコーストラインが、どうやってブランディングし、経済的な利益を得ながら文化を守っているのか。近代化と自然との最適なバランスを保ちながら、次の世代に価値を繋いでいく解決策は、世界中に先例がある。学んだことを実践し、自分たちの地域に合う/合わないを試してみる。その模索を続けていくうちに、人の輪が広がり、良き未来へと繋がっていく。奄美大島には豊かで固有の魅力に溢れ、大いなる可能性に満ちた島だと宗豊さんは言う。

「奄美の海についてどう思うか? って聞かれたら、そんな風に思いや考えが世界中へと広がっていくんです。日本も島国で、本来は海と共に暮らしていたはずなのに、どこかで分断されている気がするんですね。でも、島の方々が海と共にある。風と共にある。水と共にある暮らしをしている。奄美に来る度、ほんまにそう感じるんです」

(撮影:CHARFILM)

(取材・文:村岡俊也)