JOURNAL | Vol.06
奄美海洋生物研究会会長
興 克樹 氏
約10年前から、奄美大島近海でマッコウクジラが見られるようになった。特定の海域に現れていた体長13メートルもの巨体が、いつ、どこで見られるのか。興克樹さんは、ダイビングの事業者と共に調査を始める。どうやら海底700〜800メートルの窪みに親子連れの育児群が棲んでいることを突き止めると、その母系グループに時折より大きな雄の個体がやってくることがわかった。冬季に観察されていたザトウクジラはさらに数が多く、昨年、尾鰭の写真で同定した個体数は488頭に上る。他の海域と連携して個体調査を進めると、どうやら奄美沖縄の個体群は、ロシア・ベーリング界で餌を食べていることがわかった。近年の頭数の増加は、捕鯨からの回復によるものという。興さんは、ダイビング事業者も加盟する奄美クジラ・イルカ協会を立ち上げ、ウォッチングツアーに関する厳しい自主ルールを制定し、大学の研究機関と連携しながら調査を続けている。
市役所の都市計画課に勤めていた興さんは、1998年に奄美海洋展示館の立ち上げに携わる。自身の仕事が終わった17時以降に、担当者に直訴して「強引に手伝わせてもらった」という。それは、記録的な珊瑚の白化現象が起きた年だった。リーフの内側にもびっしりと枝珊瑚があり、島育ちの興さんにとっても原風景と感じられる風景が一夏で白化して、ほとんど死んでしまった。当時の奄美では、珊瑚や海亀の調査はほとんど行われておらず、記録も残っていなかった。市の職員として海洋展示館の運営を行いながら調査を始め、5年後に専念するために独立をした。
「島で生まれ育っているので、元々、海には興味があったんです。僕は文系の大学を出ているので、まったく何もわからない状態から始めているんですが、するとみんな教えてくれるんですよ。どこかの研究室で師事する先生がいたら、分野が狭まっていたかもしれない。『調査がまとまったら論文、書いて』って言われて。最初は、『どう書けばいいの?』っていう状態でした(笑)。ウミガメは全国各地で調査が進んでいたんですが、奄美群島が一番遅れていたんですね。調査している人もいないし、浜も多いから。屋久島のように集中して産まないために、全部の浜に行かなければわからないんです」
奄美大島では、アカウミガメとアオウミガメという二種類のウミガメが産卵している。どちらも世界中に分布しているが、北太平洋では実は日本付近でしか産卵していない。アカウミガメは、ハワイの沖を通ってメキシコ湾まで渡り、成長して日本に戻ってきて一生を過ごす。大海遊する生物でもある。興さんは、奄美全域でウミガメの調査を行っている。するとアオウミガメの数は安定しているが、アカウミガメは全盛期の10分の1以下に減少していることがわかった。原因はおそらく、東シナ海での混獲という。大型巻網船などで捕えられた個体がそのまま取引されている可能性も高い。
「そのほかにも、ウミガメの産卵場所が減っているのは確かなんです。砂浜の流出はかなり多くなっています。護岸を作って浜が侵食する事例に加えて、自然海浜でも侵食が進んでいます。温暖化で海面が上昇して、珊瑚のリーフが死んでしまい、珊瑚が薄くなっているから防波機能も弱くなって、海水が押し寄せて砂が取られてしまう。本来、砂浜は、境界が生き物のように動くものだったんですね。台風が来て砂が削られたら陸側に寄って、でもまた復活するものだった。でも今は、ここからが浜ですよって、護岸をしたり道路を通したり決めてしまうから、減る一方なんですよね」
奄美海洋展示館の目の前に広がる大浜にもアダンがあり、そこが影になって産卵場所となっている。興さんと一緒に歩いてみると、海からアダンへと幾つもの筋があり、「これは昨日、産卵した跡ですね」と嬉しそうに破顔する。
興さんは毎年3回ほど、観察の仕方などをレクチャーするウミガメ・ミーティングを開催している。親子に集まってもらい、自分たちが暮らしている集落近くの浜で足跡を見つけたら、「50〜70日後の夕方に子ガメが出てくるよ」と伝えている。子ガメの観察が浜を歩く理由になり、すると他の生物たちも発見するはず。そうやって身近な自然の豊かさを知っていってくれたらいいと考えている。
「やっぱりまず楽しさがあるんですよ。子どもたちは感受性が強いから、体験したものが記憶に残るはず。それにウミガメ業界って、すごく面白いんです。普通の学会で偉いのは研究者ですけど、全国にネットワークがあるウミガメ会議で一番偉いのは、地味に毎日浜を歩いているおじいちゃんやおばあちゃん。その地域の方々なんです。だから年に一度の顔を合わせての会議も、ずっと活動をされている個人の方がいらっしゃる場所でしか開かないんです。研究者は、その方々が集めたデータがないと研究できないですから。奄美でも同じです。まあ、もう少し前はウミガメの卵をこっそりおかずにしていたんだと思うけど(笑)。それぞれの地域の方に協力してもらってデータを集めています。このエリアは集落の方々、こっちはキャンプ場の事業者、歩いて行きづらい浜は環境省にお願いする。そうやって、みんなで協力しながら島のウミガメを調査しているんです」
興さんの話は、クジラ、イルカ、ウミガメと、奄美大島近海に暮らす生物たちのダイナミックな生態へと展開していく。未知の話に胸を躍らせながら聞き入ってしまうが、次第に聞き手が興味を持ちやすいように、活動のハイライトを繋いで話してくれているのだと気づく。珊瑚の産卵によって海が生臭く、けれど星空のように瞬くのは一年のわずか10日のことであり、クジラの赤ちゃんの撮影に国内で初めて成功するまでに何度、海に潜ったことだろう。
「やっていることは地味なんです。新種が出ましたとか、世紀の大発見みたいなことは、ほぼない。毎年見て、今年もあってよかったね、元気でよかったねって。ちょっと増えて嬉しい、ちょっと減って残念。その繰り返し。でも、データがあれば他の地域と共有して、奄美大島がいかに繁殖海域として重要か、あるいはどこが島の中で多様性が高い海域で守らなければいけないのか、いろんなことがわかる。
ウミガメが産卵する浜も、元は珊瑚が砕けた礫ですよね。誰かが珊瑚を齧るから、細かい砂になるわけで、生き物はみんな繋がっていて、無駄な生き物なんていない。陸のアダンだって、切ったら夕陽が見やすくなるかもしれないけど、アダンがあるから台風の高波で飛ばされた砂が溜まって、そこに産卵することができる。孵化した子ガメが迷走することなく海に向かうためのシェードにもなっている。その絶え間ない連鎖が、本当に面白いですよね」
活動を始めるまでは、子どもからの「奄美大島って、ウミガメはどれくらい産卵するの?」という単純な質問にも答えられなかった。けれど、20年以上、調査を続けてきたら今なら自信を持って答えられる。
珊瑚に関して言えば、興さんが調査を始めるきっかけとなった1998年の白化現象が、もっとも危機的な状況だったという。30度以上の高水温が続き、大浜のリーフエッジまでの珊瑚がほぼ全て死んでしまった。ただし、南方の大島海峡はリアス式海岸のために急に深くなっていて、かつ潮通しがいいために温かい水が溜まりにくい。その海域の珊瑚は生きていたため、いずれ大浜エリアも回復していくだろうと興さんは考えていたが、2000年頃にオニヒトデが大発生し、深場の珊瑚まで食べ尽くされてしまう。それでも20年以上に渡り、およそ60箇所でモニタリングを続けてきた結果として、現在は徐々に珊瑚は回復し、「最悪の時に比べたらすごくいい状態」という。
「現在は、白化に耐性を持った珊瑚が優先種になってきているんだと思いますね。見た目ではわからないけれど、共生している褐虫藻が高水温に強いタイプが残っているんだろうと。50〜60年前の白化以前の海に戻すのが大前提なんですが、なかなか難しいかもしれない。ただ、これ以上は悪くならないようにモニタリングして、できる範囲のことをしています。感覚的な変化も、数値やデータを重ねるとわかってくることがあるから。オニヒトデの大発生は30年周期と言われていて、その前に大規模な開発があったりするんですね。はっきりとした相関はわからないけれど、当時は開発と言えば、土を海に落として、木を伐採していたから何かしら影響はあったのかもしれない。ただし、その当時に行ったことは否定すべきではなくて、そのおかげで僕らは暮らせているわけですから。その時代にあった自然との付き合い方ができたらいい」
開発に関して興さんは、できるだけ中立の立場を取るようにしている。なぜなら、どちらの主張も理解できるし、「データが傾いたら嫌だから」。恣意的に用いれば歪んでしまうデータを、ありのまま残すことこそ自分が為すべきことと考えている。常に自然の中に身を浸し、20年以上も調査を淡々と続け、さまざまな啓蒙活動を行っている興さんが、何を重視しているかと問われれば、「島の人の命と財産」と答える。
「マングースの話を考えたらわかりやすい。当時はおそらくハブによる死亡者もいて、子どもたちを一人で山を越えて学校に通わせなきゃいけなかったんです。藁にもすがる思いで、当時の研究者の助言で、最善の策として行政が決めたこと。それを今の知識で振り返って否定してはいけない。『島の人がバカなことをして』って言われたら、無性に腹が立つんです。自然遺産に登録されて、自然と共に暮らしてきた島の人たちが非難されたり、集落の環境が壊されないようにしなければ。これまでの静かな暮らしを続けながら、実はこの自然環境はすごく希少だから、絶対に守らなきゃいけないものは守っていこう、と。島の人たちも自然を守ろうという気持ちはみんな持ってますから。同時に、島の静かな暮らしも守らなきゃいけないと僕は思っています」
(撮影:CHARFILM)
(取材・文:村岡俊也)